霊とか死後の世界は信じていないけれど 時々にゃんこに「やりなさいよ」と促されているような体験があります ◇にゃんこ先生の予言について

体験1つ目は一昨日のこと。

一昨日部屋を片付けていたら
上から社会占星学の本が落ちてきて
背中に当たりました💦

大部分の占星学の本は実家に移動したのにこの部屋にまだ残っていたのですねぇー

体験2つめは
今年2022年9月12日の出来事
にゃんこ先生の手書きの原稿の入ったファイルが実家の私が寝ていた布団の横のテレビ台に無造作に置いてありふとファイルを開いたら原稿があり私がたまたまそれを読んだことです。

その日記がこちらです。

そして3分の1まで筆耕しています。
題名 蟹名(かんにや) 塾の歩み

こんな日記を書いていたら
おもいだしちゃう。



にゃんこ先生のお見舞いに行ったときのことを。


長くなるから時間のない人は読まなくていいです。


にゃんこ先生の体調がいよいよ悪くなりもう次に私がお見舞いにくるときは生きていないかもと話す先生。言葉を濁らせながら、俺の先祖が亡くなったとき、朝廷がもう滅ぶかというような災害や疫病がつぎつぎ起こったのよ。それなので俺が死んだあとはものすごい大災害が起こるかもしれないよ。日本があるいは世界が傾くような災害や戦争が起こるかもしれないよ。。。と空を見つめて言っていたことが今もずーっと頭の中にあります。

先生がなくなってから
亡くなったのは2014年6月でしたでしょうか。悲しすぎて忘れてます。
あれからアベノミクスにより株価が上昇し投資家たちはバブル景気で億り人が地味に増えてゆきます。
かように、先生亡きあとむしろ世間は活気づいている感じがしてそれはそれで私の悲しみは深まります。

悲しみに一段落つけようと2020年に小さな船旅をしようとパンフレットを集め始めた頃、2019年12月に謎の風邪が武漢で確認されます。

2020年1月20日横浜港を出港したダイヤモンド・プリンセス号が2月3日に横浜港に入港して14日間の検疫を行った。
もしかしたら私もこのようなクルーズの予約をしていたかもしれないのです。(行き先はアジアではなく南仏プロヴァンスですけど)
あのときはまだ金欠で思いとどまったのが幸いしました
2014年から2020年は占いでいうと7年目、これは関係のある数字ですよ。

■コロナは2019年12月初旬に武漢で確認

にゃんこの予言でコロナが日本にキタとなり、コロナはあっという間に私の身近なところにやってきます。
私が普段利用する駅(原当麻駅)の駅員さんがコロナに感染して駅の上空をヘリが飛んだりしていました。もうこのとき私は感染して死んでも仕方ないと思っていましたよ。死んだらにゃんこのそばに行くだけです。感染したら会社に迷惑がかかるので感染予防だけはきちんとやりましたが死んでも仕方ないとも思っていました。(といいながらビタミンDをがぶ飲みw)


■ロシアによるキーウ侵攻は2022年2月24日
2014年から18年目です。これは占い的には にゃんこの死と関連はなさそうです。


にゃんこの死後12年目は2026年。
その年にドカーンと何か日本の終わりとか地球滅亡の危機みたいなことがあるかもしれないですよ。。。と言ってみる
テストです。巷では2025年がヤバいと言われていますね。


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どうしてこんなことを書く気持ちになったのかというと、「蟹名塾の歩み」の原稿を見つけた日が2022年9月13日で 
崇徳天皇の西暦の亡くなられた日が
1164年9月14日で、ズバリではありませんが、1日ズレていますが、近いのです。
出生地 京都府 京都市
生年月日 1119年7月7日
死亡日 1164年9月14日, 讃岐国

おまけに私の誕生日(7月8日)と崇徳上皇の西暦の誕生日(7月7日)が近いので、御縁があるというかうっすらとメッセージが送られているのかなぁと感じました。社会占星学の本が背中に落っこちてきたり先生の手書きの原稿を見つけて読んだりしたことですね。


そういうことからわたくしは死後の世界とかを信じていないけれども今こういったこと(にゃんこの予言)についてを書きたくなっているという矛盾した気持ちでおります。


安倍元首相が亡くなられたのは2022年7月8日です。日本を牽引してきた実力者をあのような形で失って、日本の舵取りが今危機的な状況になってきています。日本は大きなダメージを受けました。

これもにゃんこの予言に含まれることなのでしょうか。(安部元首相やご遺族の皆様このような迷言の引き合いに出してしまい申し訳ございません)
そしてわたくしは怖いということはなくただ淡々と日本や世界や地球に降りかかる困難の行く末をみまもっております。


なお、タタリの神様と呼ばれていますが、崇徳天皇もにゃんこ先生も最後は世間を恨んだりはしていないと記録されています。崇徳上皇は最後の日々は写経に明け暮れて、にゃんこは食を断ち病の中で亡くなっています。


ここまで読んで下さった方、
ありがとうございます。
変なことを書いてごめんなさいね。


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